私たちがこの美しいまちで
やっていること。
使えなくなった部品から、
新品同様の自動車部品を作ること。
それが、"re-Manufacturing"
信峻険な北アルプスの山々を背後にひかえ、四季折々の自然の変化を体で感じることのできるまち、長野県大町。
そんな美しいまちで、わたしたちは「re-Manufacturing」リマニュファクチャリング(リマン)というやり方で自動車部品の再生に携わってきました。
リマンとは、故障して使えなくなった製品からパーツを取り出し、それらを修理することで新品同様の製品につくり直していく技術。自動車の使用年数が長い欧米では、自動車製品を効率的に生産していくために、このやり方が広く行われてきました。
近年では特に、地球環境への配慮、またその経済性の効率の良さから、リマンはますます重要視されています。
そして最近では欧米のみならず、日本国内においても補修自動車部品の主流は、いまやこのリマンになりつつあるといえます。
そんな中にあって、わたしたち信越電装は、創業当時から、日本ではまだなじみの薄かったリマンによる製品の生産を事業の中心におき、積極的に取り組んできました。
この大町の豊かな自然の中で、リマン製品生産のリーディングカンパニーとして、新品同様の製品をつくっているのです。
"re-Manufacturing" の歴史
第二次世界大戦中の欧米で物資不足のため、補修用新品自動車部品の入手が困難になり、廃棄された部品や壊れた部品を再生して使用したことが「re-Manufacturing」の始まりです。その後1970年代頃までには、そのような部品を使用することが一般的になり今日に至っています。現在はオルタネーター、スターター修理市場の80%~90%が再生品で占められるようになりました。
今では自動車部品に限らず、医療用CTスキャンまで再生品が入手できます。日本では2000年以降より環境負荷低減の意識が高まり、経済状況悪化もあいまって急速に市場の地位を築き上げてきています。中古品と再生品の違いもようやくエンドユーザーまで浸透し始めています。
私たちのフィールドはここ大町。
そして、世界。
環境豊かな長野県・大町。私たちは創業以来、
この地にしっかりと足をおろしながら、製品をつくり続けてきました。
その一方で、アメリカやEU諸国など世界各国と直接取引を行ない、
製品の多くを積極的に海外に出荷しています。
また、近年は、特に日本国内での製品の需要も多くなり、国内の出荷数も着実に伸ばしています。
地元に根差してしっかりと地盤を固めながら、同時に世界を相手に仕事をする。
それがわたしたちのこだわりなのです。





信越電装株式会社
SHIN-ETSU DENSO CO.,LTD.
会社名 |
信越電装株式会社 |
---|---|
所在地 |
〒398-0001 |
TEL |
0261-22-2255(代表) |
FAX |
0261-23-3906 |
設立 |
昭和42年3月23日 |
資本金 |
1000万円 |
代表者 |
代表取締役社長 ケント ネグリ |
従業員数 |
139名 (2022年現在) |
事業内容 |
自動車電装部品製造再生/販売 |
海外取引先 |
North America/北米諸国、Europe/ヨーロッパ諸国 |
子会社 |
PT. Shine Indonesia Abadi (インドネシア工場) |
国際規格 |
ISO9001、ISO14001 |
沿革
1967年 |
大町バッテリー、大糸バッテリース、高田柏崎信越電装工業3社を統合し信越電装株式会社として設立 |
---|---|
1968年 |
長野電装工業(株)を信越電装(株)に合併 |
1972年 |
長野営業所営業開始 |
1983年 |
売上高10億円突破 |
1984年 |
小松信吾部長が代表取締役社長に就任 |
1990年 |
中花見工場で営業開始 |
1991年 |
長野工場を大町に統合 |
1996年 |
全部門を完全に中花見工場へ移転 |
1997年 |
売上高20億円を突破 |
1999年 |
ISO9002を取得 (後にISO9001 へ) |
2000年 |
ISO14001を取得 |
2002年 |
コンプレッサー生産を開始 |
2007年 |
総売上高30億円突破 |
2013年 |
那覇で倉庫拠点をスタート |
2015年 |
中国・四国地域配送強化のため岡山にて倉庫拠点をスタート |
2016年 |
売上高が40億を超える |